11月3日は、文化の日。

祝日法では「自由と平和を愛し、文化をすすめる」日とされています。

自由と平和を愛する。

とても美しい言葉ですよね。
でも、ふと思ったのです。

自由を愛するって、どういうことなのだろう。

自由に生きる。
自由に選ぶ。
自由に発言する。

どれも素敵なことです。
けれど、自由だからといって、何をしてもいいのでしょうか。

私は、そうではないと思っています。

今日は文化の日にちなんで、私が考える「自由」と「ルール」についてお話ししたいと思います。

文化の日は、なぜ自由と平和を愛する日なの?

文化の日の11月3日は、もともと明治天皇の誕生日にあたる日です。

かつては「明治節」という祝日でした。
そして1946年11月3日、日本国憲法が公布されました。

戦争を経験した日本が、新しい社会を築いていこうとしていた時代です。

その後、1948年に制定された祝日法によって、11月3日は「文化の日」となりました。

自由と平和を大切にし、文化を発展させていく。

そこには、そんな願いが込められています。

普段は何気なく過ごしている祝日にも、歴史があるのですね。

そう考えると、文化の日は単にお休みを楽しむだけではなく、自由や平和について考える日でもあるのだと思います。

自由とは、何でもしていいことではない

私は時々、自由という言葉が「何をしてもいい」という意味で使われているように感じることがあります。

例えば、服装自由。

自由なのだから、何を着てもいい。
もちろん、自分の好きな服を選べることは素敵です。
でも、どんな場所でも、どんな状況でも、好きな服装をすればいいというわけではありませんよね。

仕事であれば、衛生面や安全面への配慮が必要な場合もあります。

人が集まる場所なら、周囲への気遣いが求められることもあるでしょう。

発言の自由も同じです。

自分の意見を伝えることは大切です。
でも、自由に発言できるからといって、他人を脅したり、誹謗中傷したりしていいわけではありません。

自分の自由が、誰かの自由や権利を傷つけてしまうこともある。

だから私は、自由には責任が伴うのだと思っています。

自由とわがままの違いは何だろう

自由とわがまま。

似ているようで、私は違うものだと思っています。

その境界線のひとつは、他人に迷惑をかけるかどうか。
自分が楽しいからといって、周囲の人を困らせてしまう。
自分が好きだからといって、誰かの権利を侵害してしまう。

それは、自由という言葉だけでは正当化できません。

ただし、ここには難しさもあります。
何を迷惑と感じるかは、人によって違うからです。
ある人にとっては気にならないことが、別の人にとっては大きな負担になるかもしれません。
だからこそ、他人の権利や安全を尊重することが大切なのだと思います。

自由とは、自分の好きなことをするだけでなく、他人にも同じように自由があると理解すること。

私は、そう考えています。

渋谷のハロウィンから考える、自由とルール

自由とルールの関係を考えるとき、私が思い出すのが渋谷のハロウィンです。

仮装を楽しみ、仲間と街に集まる。
本来は楽しい時間のはずです。

ところが、2018年のハロウィンでは、軽トラックが横転させられる事件などが起きました。

その後、渋谷区では2019年に条例が制定され、ハロウィン期間などの特定区域で路上飲酒を禁止する措置が取られました。

酒類を販売する店舗にも、販売自粛への協力が求められるようになりました。
さらに、その後も対策の見直しが進められています。

私は、こうした出来事を見ると考えてしまいます。

もし、一人ひとりが周囲への配慮を忘れず、安全に楽しんでいたら、ここまで厳しいルールは必要だったのでしょうか。

もちろん、集まった人すべてが迷惑行為をしていたわけではありません。
マナーを守って楽しんでいた人も、大勢いたはずです。
だからこそ、一部の行為によって、多くの人の楽しみ方が制限されてしまうことは残念に感じます。

自由を守るために、ルールが必要になる。

一見、矛盾しているようですが、私はそういうこともあると思うのです。

ルールは自由を奪うためだけにあるのではない

ルールと聞くと、窮屈に感じる人もいるでしょう。

あれをしてはいけない。
これを守らなければならない。

確かに、決まりごとが多すぎると、息苦しくなってしまいます。
でも、ルールには私たちの安全や権利を守る役割もあります。

例えば、交通ルール。

信号も、一時停止も、通行区分もなかったらどうなるでしょう。

誰もが好きなように車を走らせていたら、安心して道路を渡ることさえ難しくなってしまいます。
交通ルールがあるからこそ、私たちはある程度の安全を確保しながら移動できます。

ルールは、ただ行動を制限するものではありません。
誰もが安心して行動するための共通の約束でもあるのです。

でも、すべてのルールが正しいわけではない

ここで、もうひとつ考えたいことがあります。

それは、ルールがあるからといって、すべてが正しいとは限らないということです。

例えば、野球部に入ったら必ず丸刈りにするという決まり。

かつては、そんな慣習が当たり前のように存在していました。
今でも、学校やチームによっては髪型について決まりがあるかもしれません。
でも、野球をするために、必ず丸刈りでなければならないのでしょうか。

髪型を整えることと、競技に必要な安全や衛生を守ることは、必ずしも同じではありません。
もちろん、チームとして大切にしている伝統や考え方もあるでしょう。
けれど、昔からそうだったという理由だけで、今も続けなければならないのでしょうか。

私は、そこを考えることが大切だと思っています。

ルールは、守るだけでなく、なぜ必要なのかを考えるもの。
必要な理由がなくなったのなら、見直してもいい。

時代が変われば、暮らし方も価値観も変わります。
ルールもまた、時代に合わせて変わっていく必要があるのではないでしょうか。

ルールがなくても、自由を大切にできる社会

私は本来、一人ひとりが自由の意味を理解し、周囲の人を尊重して行動できれば、細かなルールは少なくて済むのではないかと思っています。

  • 誰かに言われなくても、迷惑になることはしない。
  • 危険なことは避ける。
  • 自分と同じように、他人の自由も大切にする。

そんな社会なら、きっと多くの決まりごとは必要なくなるでしょう。

でも、現実には難しい部分もあります。

人によって価値観が違う。
育ってきた環境も違う。
何を危険と感じ、何を迷惑だと思うかも違います。

だからこそ、共通の基準としてルールが必要になるのだと思います。
ただし、ルールが多ければ多いほど、よい社会になるとも思いません。

必要なルールは守る。
必要のなくなったルールは見直す。
新しい問題が生まれたら、みんなで考える。

そんな柔軟さが大切なのではないでしょうか。

自由を愛するとは、自分で考えること

自由には、責任が伴う。

私はそう思っています。
でも、それは自由を怖がったり、制限したりするための言葉ではありません。
むしろ、自由を大切にするための考え方です。

誰かに決めてもらうのではなく、自分で考える。

自分で選ぶ。

そして、その選択が周囲にどんな影響を与えるのかを考える。

ルールについても同じです。

決まりだから、ただ従う。
昔からそうだから、変えない。

それだけではなく、
「このルールは、何を守るためにあるのだろう」
「今も本当に必要なのだろうか」

そう問いかけることも、大切だと思います。

自由とは、無秩序であることではない。
そして、ルールに何も考えず従うことでもない。
自分の頭で考え、他人を尊重しながら、自分の意思で選択すること。
そこに、自由の大切な意味があるのではないでしょうか。

おわりに|文化の日に考えた、本当の自由

11月3日、文化の日。

「自由と平和を愛し、文化をすすめる」

何気なく目にしたこの言葉から、自由について考えてみました。

自由は、とても素敵なものです。

好きなことを選べる。
自分の考えを伝えられる。
自分らしく生きられる。

でも、その自由は、自分一人だけのものではありません。
周囲の人にも、同じように自由があります。
だからこそ、お互いを尊重することが大切なのだと思います。

そして、ルールもまた、ただ守ればいいというものではありません。

何のために存在するのか。
誰を守っているのか。
今の時代にも必要なのか。

そんなことを、一人ひとりが考え続けることが大切なのでしょう。

自由を愛するとは、自分の自由だけでなく、誰かの自由も大切にすること。
そして、その自由を守るために、必要なルールと不要なルールを、自分の頭で考え続けること。

私は、そんなふうに自由を大切にしていきたいと思っています。

皆さんにとって、自由とは何でしょうか。

[参考資料]

内閣府|各「国民の祝日」について

東京観光財団|渋谷エリアの路上飲酒規制の経緯

有村真理愛