歳を取るのではなく、歳を重ねる。
衰えと、歳を取ることは、同じ考え方です。

経験を積み重ねて栄えることと、歳を重ねることも、同じ考え方です。
歳を取れば、失うものがある。
歳を重ねれば、蓄わるものがある。
だから40代、50代、60代になることを、楽しみにできる道を歩けばいい。

経験は、歳とともに、自分の宝の山になっていきます。
10代、20代は、体力がある。
だから無茶ができる。考えすぎずに走り抜けられる。
私の20代も、そうでした。
物事の深さを知らないまま、動いていました。

無駄はたくさんあった。回り道も、力の使いすぎも、今思えば多かった。
それでも体が動くから、パワーで乗り越えられた。
心はまだ不安定で、裏切られると、すぐに沈んだ。

若いというのは、走れることと同時に、心がまだ薄いということでもあります。

30代になると、子育てのなかで辛抱強さを手に入れました。
育てながら働き、家事をする。
同時にいくつものことを抱えるうちに、「全部を力で押す」やり方では持たないと気づく。

そこで、合理的な進め方を、少しずつ試し始めました。
何を先にするか。何は省いてよいか。どこで力を残すか。
忍耐は、我慢というより、配分を覚えることでした。

40代には、体を使わず、頭で考えるようになりました。
無駄のない時間を作る。
その余った時間で、心の余裕を作る。
走らなくても進めるようになると、心が先に折れにくくなる。
失ったのは速さです。蓄わったのは、間です。

徳川家康も、若い頃は走り続けるしかなかった人です。
人質になり、領地を奪われ、生き残ることに追われた。
あの頃の家康に、後年のような静けさはありません。
けれど家康は、走り続けたまま終わりませんでした。
歳を重ねるほどに、待つことを覚え、蓄えることを覚え、無駄な戦いを減らし、必要なときだけ動くようになった。
天下は、若さの突破ではなく、長く生きて経験を鉱脈にした結果です。
若い武将は、体力で城を落とす。
家康は、歳を重ねて天下を取った。

同じ「勝つ」でも、中身が違います。

10代20代の勝ち方と、30代以降の勝ち方は、別物なのです。

歳を取れば、確かに失う。
速さ、若さ、無茶の効く身体、すぐに立ち直れるような錯覚。

歳を重ねれば、蓄わる。
判断、辛抱、合理、そして「今は動かない」と言える静けさ。

だから、40代になること、50代になること、60代になることを、下り坂にしない。
失うものを数えるより、蓄わるものを数える。

家康のように、経験を宝の山にしていけばいい。

掘れば掘るほど出てくるのは、派手な宝物ではなく、静かに光る、自分だけの鉱脈。